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COLUMN
2017.05.08

バック・トゥ・ザ・カルチャー 02 1986年のホットロード[writter]西森 路代

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02 1986年のホットロード

今、成田空港の第三ターミナルでこの原稿を書いています(書いてから公開までに時間があるのでもう日本に戻っていますが)。現在、夜中の3時。香港に行くのに、安い早朝の便を無理やりとったら、始発で空港に向かったのでは間に合わず、終電で東京駅に向かい、バスで成田にやってきて時間をつぶしているのです。

成田で夜を明かすためにどうすべきかと、いろいろ心配してWEBを検索してきたけど、なんてことはない、第三ターミナルには大きなフードコートがあって、そこで座ってればいいし、運が良ければ、フラットなソファー席で寝ることだってできるようになっていました。

そして、この状況を友達にLINEしてたら、「楽しそう、ホテルのロビーみたいな感じ?」と聞かれたので、この感じが何に似ているだろうといろいろ考えたところ、中学校のときの修学旅行で、フェリーに乗って大阪に行くときの感じかもしれない!と、当時を思い出したのでした。

マチボンを読んでいる愛媛の人ならば、誰もが知っているであろう、あのフェリーの空気。しかし、東京に出てきたら、そんな経験はなかなかしたことがない人が多いということを知って驚きまし

チェッカーズ、尾崎、そしてホットロード…

当時のことを思い出すと、中学生は血気盛んなお年頃。修学旅行シーズンで、たまたまそのフェリーでふたつの中学校が乗り合わせたりなんかしたら、もう大変。普段はそんなにいきがっていない男子でも、急にいきりたいモードになってしまい、「お前何見とるんじゃこら」とメンチを切りあうなんてことが本当にありました。私の修学旅行のときには、それを避けるために、船内での夜中の外出は禁止になってしまいました。

思えば、私が中学生だった1980年代半ばというのは、ヤンキーが全盛期でした。チェッカーズは1983年9月にリリースしたデビュー曲『ギザギザハートの子守歌』で、「仲間がバイクで死んだのさ」と歌い、1984年1月に大ヒット。尾崎豊が『15の夜』で「盗んだバイクで走り出す」と歌ったのは1983年の12月でした。

それを聞いていた私たちの周りには、本当にバイクで死んだ人も、バイクを盗んだ人もいなかったのですが、そういうことが信じられる空気というか、そういう出来事がありそうな空気の中では過ごしていました。

特に中3の夏の出来事は忘れられません。夏休みが終わり、9月の初登校の日、幼稚園からの幼馴染の女子が茶髪のボブカットになっていたのです。中学の女子たちは口々に言いました。あれは「『ホットロード』の和希ではないか!」と。

今でこそ、茶髪のボブカットは珍しくもありませんが、田舎でいきなり茶髪で学校に現れるのはかなりセンセーショナルなことでしたし、おまけに当時は、茶髪にするにも、薬剤が売られていなかったのです。だから、田舎の中学生はオキシドールで脱色するしかなかったし、コカ・コーラで脱色ができるらしいよなどという噂もあったりしました。よく考えたら、当時ってなぜかコカ・コーラは万能だと思われていて、コカ・コーラで避妊ができるなんていう都市伝説もあったのです。もちろん、そんなことはありえませんが。

能年玲奈さんと三代目 J Soul Brothersの登坂広臣さんが主演で2014年に映画化されたことで、若い世代にも知られることとなった『ホットロード』ですが、別冊マーガレットで連載がスタートしたのは1986年1月のことでした。一説によると、男性主人公の春山は、藤井フミヤさんがモデルとも言われていますから、チェッカーズ→バイクで仲間が死ぬ→不良、みたいな図式ともぴったり当てはまります。

2014年版の映画とはまったく別の、当時の中高生のリアルがあの漫画の中にはありました。というか、当時の中学生が『ホットロード』に感化されているようなところもあったのかもしれません。あと、私はなぜか『ホットロード』が広島の話だと勘違いしていたのですが、この作品自体は湘南が舞台で、そのあとに紡木たくさんが書いた『瞬きもせず』が山口県の話で、そういうこともあって、愛媛の私は親近感を抱いていたところもあったのかもしれません。当時の山口出身のアイドルには、『白いバスケットシューズ』の芳本美代子がいましたね。

変形学ランはどうやって買ってたの?

漫画の中でも当時を表しているのが、中高生の制服です。最近、ツイッターで変形学ランの話題が上っていましたが、短ラン、長ラン、ボンタンなどなど、当時の男子学生は、どこでどうやって買いそろえていたのかわからないけれど、これらの変形制服を組み合わせて着用していました。

それは、なにもゴリゴリの不良だけが着ていたというわけではありません。ちょっとだけボンタン気味、ちょっとだけ短ラン気味みたいな制服を着ている人も多かったのです。さりげないおしゃれというやつです。逆に変形でない制服を着ている男子は肩身が狭そうでした。変形学ランなんて、けっこうな値段がするだろうに、当時の男子中高生は、どこからお金を調達してきたんでしょうか。バイトをしていたのか、親に頼みこんで作ったのかなど、けっこう謎が深まるばかりです。中学校のときに、ざっくばらんに話す不良めな男子もいなかったので、その謎はいまだに解けてはいません。

昨今は、名古屋発のBOYS AND MEN(以下ボイメン)というグループがいて、彼らがまさに私の中高生のころを思い出すような変形学ランを着てパフォーマンスしています。私も仕事でちょくちょくお目にかかる機会があるのですが、妙に他のグループよりも親近感がわいてしまうのは、自分の時代の学生時代を思い出させるということが大きいんでしょう。しかも、それぞれのキャラクターにあった変形学ランを選んでいる(背の高いリーダーは長ランで、ちょっとチャラけたメンバーは太目のボンタンに短ランというように)のは、流石と思います。

当時の私はまったくヤンキーっぽさがなくて、どうあがいてもヤンキーグループに入るとか、ヤンキーっぽい女の子と心底仲良くなるということとは無縁の生活をしていました。もちろん、ヤンキーっぽい男の子とも無縁でした。別にそれで悔いはないのですが、当時はヤンキーになれない私がなんとなく置いていかれたような気分になってしまうくらいには、ヤンキーが主流だったし、ヤンキーはかわいい子からなるものというような雰囲気もあったのです。だから、当時のアイドルには「あの人元ヤンだよ」という噂がつきまとっていたのでしょう。しかし、私があの時代に、ヤンキー文化に適応できていたり、ヤンキーの輪の中にいて、こんな風に観察していなかったら、今頃こんなコラムを書くようなことにはなってなかったんだろうなと思うのです。

 

 

 

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西森 路代

西森 路代

フリーライター。TBSラジオ文化系トークラジオLife出演。WEBRONZA、TVBros.などで執筆。連載は日経WOMAN ONLINE、月刊サイゾー、messyなど。本は「女子会2.0」「K-POPがアジアを制覇する」

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